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バベル
バベル-オリジナル・サウンドトラックアカデミー賞をはじめ色んな賞を取ってる話題作。日本では「菊池凛子、オスカーか!?」ってトコでクローズアップされてましたね。
注目してたわけでもないですが、丁度28日公開で見たいのはこれだけだったので、公開日に行ってきました。
ストーリーは、
モロッコを訪れていたアメリカ人夫婦(ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット)は、ツアー移動中のバス内で銃撃を受け、妻のスーザンは命に関わるほどの重症を負う。
病院もない、医者もいない。何もない砂漠のただ中で、次第に衰弱していくスーザン。妻の様態に焦る夫リチャードは、現地人のガイドに近くの村まで案内させるが、そこにも医者はなく、適切な処置を執ることが出来ない。
さらに、国交の関係で、大使館からの救援は遅れ、言葉の通じない異境の村に連れてこられた他のツアー客との溝も深まっていく。
彼らの銃撃したのはテロリストと報じられ、世界中の好奇の目が集まるが、実は、地元の兄弟が、ライフルの性能を試すべく遊び半分で撃ったものだった。
事の真相を父親に語り、互いに罵り合う幼い兄弟。父親は我が子の行いに失望するが、兄弟を助けるべく逃走を図る。しかしすぐに警察に追い詰められてしまう。
囲まれたことで逆上した弟は、制止も聞かず警察にライフルを向ける。だが、応戦した警官の銃撃により、兄が命を落としてしまう。
こんなことになるなんて…こんなつもりじゃなかったのに…。
些細な行き違いと反抗心から、遂に兄を死なせてしまったことを悔いる弟。
しかし、彼の行いの代償はあまりにも大きかった。

一方、アメリカでは、夫婦の子供達を世話するメキシコ人のチャイルドシッター・アメリア(アドリアナ・バラーザ)が、明日に迫った息子の結婚式に気を揉んでいた。
一時は「別のシッターを用意する」というリチャードの言葉に安堵するも、結局それは叶わず、「金を出すから結婚式を延期しろ」と無情かつ安易に希望を断たれてしまう。
追い込まれた挙げ句、アメリアは幼い子供達を故里へと連れて行く。国境の向こうのメキシコへ。
結婚式は無事に執り行われ、子供達も文化の違いに戸惑いつつも楽しい時間を過ごしていた。
しかしその晩、アメリカの家に戻ろうと、子供達と共に甥の車に乗り込むアメリアだったが、国境警備に見咎められた甥の暴走により、国境突破の犯罪者になってしまう。さらに気が動転した甥に命じられるまま車から降ろされ、荒野に取り残される。もちろん幼いあずかり子たちも一緒に。
陽が昇り、衰弱していく子供達。アメリアは子供の体を気遣って、木陰で待つよう言うと、単身助けを求めて荒野を歩く。
やがて通りかかったパトカーに助けを乞うも、彼らは国境突破の犯罪者=アメリアを探していたのだった。必死に子供の救出を訴えるアメリア。だが、子供達は木陰から姿を消していた。
捜索の末、なんとか発見、救出される子供達。
「なぜ置き去りにした!?」「そうじゃないの!」
アメリアは尋問を受けた末、不法滞在者としての経歴を暴露され本国へ送り返されてしまう。つい夕べ発ったばかりのメキシコの街へ……。
15年間暮らしたアメリカでの生活が、たった一夜にして崩れ去ってしまったことに、ただ嗚咽するばかりのアメリアであった。

そして、舞台は日本へと移る。
聾唖の少女・チエコ(菊地凛子)は、その身の上から世間に溶け込めず、苛立ちを感じていた。
普通の少女を気取ってクラブに出入りするも、会話が出来ないことでバケモノ扱いされ、自分の存在を確かめようと他人に触れてみても、拒絶されるだけの日々。
半年前に母親を亡くしたことで、父親・ヤスジロー(役所広司)ともギクシャクしており、接触を避けるように若者の溜まり場に入り浸り、薬に手を出し……しかし虚しさを覚えるばかりだった。
そんなチエコの前に、若い刑事が姿を現す。
「お父さんと話がしたいのだけど」
母の死のことで父が罪を問われると思い込んだチエコは、とっさに嘘をつく。
母親は自分の目の前でベランダから飛び降りた――と。
同情の目を向ける刑事。チエコは、彼こそ自分を理解し受け入れる存在と信じ、服を脱ぎ捨てて肉体関係を迫る。だが、「子供だから」と拒否され、涙を流すのだった。
そして、ヤスジローと対面した刑事は、ヤスジローがかつて所有し、モロッコを訪れた際に現地ガイドにプレゼントしたライフルが犯罪に使われたことを語り、父子が直面した辛い過去を気遣う。だが、ヤスジローは刑事を罵倒する。
「――あの子の母親は、自分の頭を鉄砲で撃ち抜いたんだ!」
初めて自分が弄ばれたことに気が付き、唖然とする刑事。
その晩、やけ酒を飲む彼だが、ふと、去り際にチエコから渡された手紙を開いてみる。手紙には、びっしりと一面に言葉が綴られていた。手紙を読み、涙を流す刑事。
その頃、帰宅したヤスジローは、裸のままベランダに佇むチエコを見つける。
咎めることもなく、涙を流す娘を抱きしめる父親。
ふたりはいつまでも夜風に吹かれていた。
そのバベルの塔の如き、高層マンションのベランダで……。

人は「言葉」により信頼し、「言葉」により過ちを犯す。
だが、心から信じられるものは――

……て、まぁ、こんな感じでしょうか。
ややこしい話だったので、自分で思い出す意味も含めて、詳しく書いてみました。

65点。(脚本:3/演出:4/映像:3/音楽:2/配役:3)

見終わった感想は、「ん〜〜〜う〜〜 くたびれた」。
ノンフィクションみたいに「真剣に見よう」って気もしないし、かといって気楽には見れないし、サスペンスってほど縦軸横軸入り混じってもないし、ヒューマンドラマって言う程それぞれの人柄を掘り下げてもなかったし……。
結局のトコ、煮え切らずまどろっこしい状況がず??っと続くだけの映画でした。
話の流れが言ったり来たり、場所も行ったり来たりするので、それが単調さを払拭させて、ある意味メリハリ効いてるんですが、時系列が分かりにくく繋がりが弱いので、オムニバス映画的。
考えさせられるというか、教典的に感性に響く部分も多くて心には残りましたが、やっぱりちょっと、作品の完成度はイマイチでしたね。


パートごとに振り返ってみると――、

まずモロッコパート。
ブラピの役柄のダメさ(明らかに自分の判断ミスなのに周りを責め続ける所とか)にイライラするし、現地民の兄弟(てか弟)の問題大ありの人格にやっぱりイライラ。
洋画お得意の、「危機を脱した夫婦が愛を取り戻す」を、地でいってたのもなんだかなぁ…って感じです。

反面、アメリカパートは、なかなか良かったです。
モロッコパートと直結してる分、上手く行かないアメリアのもどかしさがひしひし感じられたし、度重なる不幸な展開に胃が痛くなるコトしきり。アメリア役のアドリアナ・バラーザの演技が光ってましたね。(彼女こそ助演女優賞ものでは?)
子供達も、特にセリフがあったわけじゃないけど存在感あったし……と思ったら、妹役のエル・ファニングは、天才子役と話題をさらったダコタ嬢の妹なんですね。
姉妹揃っての才能。只者じゃないですワ!

そして、日本パート……。
日本で大々的に上映されてるのはこのパートがあったからでしょうけど、正直必要ない感じでした。
映画のテーマを膨らませるには役立ってたと思いますが、他のパートとの繋がりがことさら弱くて、何回も「…で? だから?」と思いましたよ。
クラブとか薬とかの「自堕落な若者像」も、極端すぎて醒めるばかり。あれが最近の若者かぁ?……って、んな訳ねーだろいっ!
あと、聾唖である必要もそんなには感じず。
「基本同一民族で日本語のみの日本」で「言葉の壁」を描きたかったんでしょうけど、言語が同じでも、分かり合えず疑心暗鬼になることなんて多々ありますしね。
絶賛された菊池凛子の演技も、ピンと来ませんでした。(体張ってただけでは?)


正直な所、中盤で日本パートがダラダラ続くあたりはものすごくつまらなくて、「帰ろうか」と思った程でした。
アメリカパートも不幸に不幸が重なって息苦しいし、モロッコパートは痛々しいし、救いようが無い様に窒息気味。
でも、最後の最後で子供達が助かったて安堵。アメリカ妻も生還したので、ラストはちょっと「良かったね」とも思いました。(日本パートは除外で)
しかし、死んだモロッコの兄弟(兄)と、強制送還のメキシコ女。日本人親子も、何か好転するでもなくドロドロのまま……不幸になったのはとことん外国人で、アメリカ親子だけが奇跡の生還。ちょっと一方的に都合良いなぁとも思ったりしました。
(ま、この辺はパニック映画で主人公&恋人だけ生き残るのと同じですね)
つまり、群像劇っぽくしてても、配役を度外視しても、結局はアメリカ夫婦が主人公ってことです。


ところで、チエコがクラブで孤独を感じるシーン。
点いたり消えたり……ライトがチカチカするカットが続くんですが、あまりに過剰で、ちょっとポケモンショックを思い出したりもしましたよ。
具合悪くなった人いるんじゃないのかなぁ。
……とか思ってたら、後日、本当にニュースになってるし!
:: 映画(2008年まで) | comments(0) | trackbacks(0) | posted by 二瀬古 
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